分野:哲学
課題:人生の不条理について社会事象を例に挙げ述べよ。
字数 :1800字
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「一般に、高次の精神は低次の精神なしには存し得ず、高次の生は低次の生の凡てを含んでその上に発展する。かくの如く段階的発展的に見られた生の存在論もしくは精神の現象学に於いて、その最高の段階を現すものは学、特に哲学である。・・(略)・・手仕事をする大工よりも設計をする棟梁がより智者であると云われている。しからば最も勝れた意味に於いて智者と考えられるのは如何なるものであるか。物を個別的に知っているというのではなくて凡てを知っている者が智者である。・・(略)・・智者の有すべき智慧はこのようにして普遍的なもの、究極的なものに関する知識でなければならぬ。この知識はあらゆる他の知識の上に位し、他の目的のためでなくそれ自身のために求められる。眞に智慧の名に値するのは第一原理と第一原因に就いての知識である。かような「智慧」は最高の学たる哲学に属している」( 『アリストテレス形而上学』三木清岩波書店全集9)


 かつて、純粋思弁を繰り返し人智の最高レベルに到達する哲学は、あらゆる学問の王であった。アリストテレスも「学」と「技術」を区別し、「学」を、「技術」を司る王座に地位させている。また現代直前までの例えば2000年という歴史的時間においては、それが確かに強烈な権威を保っていて、人類社会に圧倒的なる実力を有していた。秦の始皇帝の焚書坑儒をはじめとして日本の昭和時代の前半にまで残っていた治安維持法などは、純粋哲学思想(形而上学)がいかに実力を有し、為政者を煩わせ苦しめたかの例証であろう。


 2002年7月6日朝、伊藤琉介ちゃん(2歳)という一人の赤ちゃんが急性心不全で亡くなった[1]。琉介ちゃんは心臓移植手術を受けるため7月15日に渡米する予定だった。生後7ヶ月で心臓の収縮機能が低下する難病の拡張型心筋症を診断されていた。この病気は心臓移植でしか助かる見込みがなく、心臓は他の臓器とは違い、大人のものは子供に移植できない。1968年に札幌医科大学で行われた和田移植が日本での心臓移植の先例となり、「脳死」の判定基準・法律制定が行われ、1997年7月に公布され10月施行された臓器移植法。1995年には世界で4000例以上心臓移植が行われるようになっていった。しかるに、日本では子供のドナー(臓器提供者)は、「民法上、遺言を残せる年齢に達していない15歳未満は、ドナーにはなれない」との法律上の厳然たる規制がある。アリストテレスが定義した技術の延長上に現代の医療技術があるのかは、哲学的思索を有する問題ではある。が、この5年間で15歳未満の日本の子供たち26人が心臓移植を受けるため、米国やドイツに渡っていて、そのうち6人は渡航後、待機中に亡くなったという現実は重い。この医療技術と法律の不条理を解けぬ哲学は脆弱であり、かつての学問の王座にあった威厳は感じられない。


 さらには米国で心臓移植を受ける場合、1日30万円の診療費、1日200万円の人工心肺補助装置に加え、渡航の航空機が心臓に負担をかけぬ(航空機内の気圧の関係)ように、十数席分のチケットと医師看護婦6名の同行のため、渡航費用だけで500万円かかるという、膨大な費用の問題が発生する。
 医療技術と法律と経済の不条理が、次々に人の生命を、結果的に確実に奪っている、現代科学文明の渦中にある人生の不条理。「不条理とは世界の属性でも人間の属性でもなく、人間に与えられた条件の根源的なあいまいさに由来する世界と人間との関係そのものであり、理解を拒絶するものと明晰な理解への願望との果てしない対決である[2]。」とするならば、個人(死に瀕している患者)と世界(医療・法律・経済)の対立は、人類の歴史的進化とともにその闇の淵源が、より深くなりつつあるのだろうか。


 純粋思弁(形而上学)が万象の技術を導き、明確な解答と、鮮烈な力量を有していた歴史時代は終焉し、哲学が諸学に融合し、その純粋思弁の基盤となり、よりよき結論に導くものになりつつあろう。


 同時に人生の不条理を不条理として傍観し落胆するのではなくて、あらゆる学の基盤として、それと融合し人智の最高表現へと昇華させるのでなくては、現代哲学はその魅力と求心力を失うであろう。人類の歴史はやはり人類の歴史として、一筋の巨大な河川の如くあるべきでろう。いかに科学技術が発達しようが、純粋思弁の王座たる健全な哲学を基盤にして発展していってもらいたいと願う。

[1]読売新聞2002年7月7日
[2]加藤周一編集長『世界大百科事典』平凡社1995不条理 山田登


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