分野:宗教学
課題:民俗学における「ハレ・ケ・ケガレ」論考
字数:2500字
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出」「ハレ着」などの言い回しがある如く、ハレとはケに対してあらたまった特別な状態、公的なあるいはめでたい状況を指す言葉である。ハレ舞台であるハレの場で着るハレ着は普段着る衣服とは異なった装飾や特別な色、意味合いを持つ柄、上等な素材を持って作られ、赤飯・餅・清酒・鯛など日常とは異質な赤や白を基調とした飲食物が、独特の定められた方法や形式で料理され饗される。その空間は、注連縄・幟・紅白幕・常緑樹など日常性とは隔絶した一定の方法で飾ることにより、ハレの場を演出・表現する。挨拶や言い回しも、一定の文言を使い決まり文句として定まっている。この様な、人生の通過儀礼と呼ばれる重要な誕生・成人・結婚・厄年などの折り目には、その当人と近しい関係の人々は、通常の日常的な状況とは外見上も心の内面上も明確に区別され、ハレの状況にあるといえる。それに対して、日常的な普段の状況をケの状況にあると言う。更に葬式や初盆、年忌供養も非日常的な公的社会的状況なのでハレの行事という解釈が成り立つ。つまり、ハレとは必ずしもめでたい状況を指すものではなく、日常的なケと対立させた場合、祝儀も不祝儀も含む事になる。ここまでは伝統的な日本の文化人類学の解釈ではあるが、更に、『ケガレの構造』によると、ハレは神聖性を意味し、その解釈上では、ケガレ(穢れ)=不浄性と対極する事になる。人類の普遍的意識ではあるが宗教的なものに対する人間の認識には二極方向があり、一極は神聖性(清浄性)を尊び、そこに人間の存在を越えた巨大な力の源があるとする考え方であり、もう一極には不浄なもの穢れたものも人間に対して強い力を持ちうるという認識である。日本人の宗教性を解析し、神事をハレとし、神事から排除される事項や死に関わる事項をケガレとして対立させる事に着目したところに、『ケガレの構造』の斬新な宗教的解釈がある。この2極性を認識するならば、葬式や新盆の状況はハレとはいえず、ケガレと解釈されうる。つまり、『ケガレの構造』は日本人の宗教意識をハレ・ケ・ケガレの三極構造ととらえているところが、従来のハレとケの二元論で日本文化をとらえようとした認識からは大きく前進している。
 

 この解釈で、私が最も重要だと思われるのは、最近日本でもしばしば論点に挙げられる、脳死した遺体から臓器を移植するという医療行為に対する日本人の宗教(深層)意識である。日本人にとりケガレた存在である遺体は、明快な医学的物理的対象とはなりえず、それゆえ明確に科学的論断・法律的決定ができずにいて、日本の宗教思想は、亡霊のごとく遺体の周りでうろうろ徘徊しているようだ。2002年7月6日朝、伊藤琉介ちゃん(2歳)という一人の赤ちゃんが急性心不全で亡くなった[1]。琉介ちゃんは心臓移植手術を受けるため7月15日に渡米する予定だった。生後7ヶ月で心臓の収縮機能が低下する難病の拡張型心筋症を診断されていた。この病気は心臓移植でしか助かる見込みがなく、心臓は他の臓器とは違い、大人のものは子供に移植できない。1968年に札幌医科大学で行われた和田移植が日本での心臓移植の先例となり、「脳死」の判定基準・法律制定が行われ、1997年7月に公布され10月施行された臓器移植法。1995年には世界で4000例以上心臓移植が行われるようになっていった。しかるに、日本では子供のドナー(臓器提供者)は、「民法上、遺言を残せる年齢に達していない15歳未満は、ドナーにはなれない」との法律上のなんとも根拠あいまいな、医療行為と法規制を異様に混同させた法律がある。この日本人の法意識と其れを背後から支えている国民的思想に、遺体に対するケガレ意識が感じられる。最近5年間で15歳未満の日本の子供たち26人が心臓移植を受けるため、米国やドイツに渡っていて、そのうち6人は渡航後、待機中に亡くなったという現実は重い。まさに日本人のケガレという深層宗教意識が手枷足枷となり、世界最先端の医療行為をなしうる巨大な壁と立ちはだかり日本人の医療行為の上に重くのしかかる。身体を透徹して科学的・医学的に見て、つまり唯物論上で身体を処理していく発想に近づくことは、日本人にとっては、宗教人類学的議論を深め、意識の変革までの長い時間をかける必要がありそうだ。


 しかし、このことは短絡的に日本人の宗教意識が、臓器移植が盛んに行われているアメリカに比べ前近代的ということで片付けられる問題ではないようだ。非常に興味を引かれるレポートがある。それは心肺同時移植手術を受けたクレア・シルビアの“A Change of Heart”[2]という著書である。肺の奇病に罹っていたマサチューセッツに住むダンス教師のクレア(57歳)は、バイク事故で脳死した18歳の青年からの肺と心臓の移植手術を受けた。この大手術後クレアの体と心に信じられない変化が起る。「手術後暫くして、自分の行動が私自身のものでないような気がして」きたクレアは、歩き方がドシンドシンと変わり、嫌いだったビールやチキンが大好きになり、洋服の好みも全く変わってしまった。性格もアグレッシブに感情的にと大きく変化した。「自分の身体の中に誰かがいるように感じ」不思議に思ったクレアは、調査した結果、衝撃的な事実に出会う。なんと、豹変した性向・嗜好は、クレアのドナー(臓器提供者)のものだったのだ。バイク事故で脳死した18歳の青年の心臓と肺に記憶された情報が、クレアの体内で再生され、クレアの心まで豹変させていったのだ。このドナーの記憶が、新しい身体で再生されてレシピエント(被提供者)の嗜好・性格が変貌して行く実例は、他にも報告されている。


 ケガレの構造と思想は、宗教学・文化人類学・医学・法律学を縦断すると同時に、人の生命にかかわるのっぴきならない根源的哲学的思想と課題を孕んでいて、その点に尽きぬ興味を感じる。


[1]読売新聞2002年7月7日
[2]“A Change of Heart”by Claire Sylvia, William Novak(Time Warner Paperbacks1998/06/18)

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